宗和好の茶室

宗和好の茶室

 宗和好の茶室とされている代表的な茶室として、庭玉軒、六窓庵、夕佳亭等が 挙げられますが、いづれも後世の移築・再建であり、宗和好であるという伝承のみで 宗和が建てた茶室であるという確かな資料は残っていません。

 宗和流の伝書『枝折抄』の中には式正の四畳半古法の建築について、山城国 涼安寺(龍安寺?)に隠棲していた宗正という人を呼び寄せた、という記述があります。

式正之四畳半 古法の立様 宗正といへる者能 覚 於山城国凉安寺に遁世者のやうにして 在しを 金森宗和聞およひ 呼寄 様子被相尋候処 老人といへともしつねん不仕由申付則可為立とて 材木相調 大形組立候処 宗和死去付て 小出 大和守殿在所え取下し彼宗正に被為立 今 有也。加賀国奥村壱岐(宗和茶書では和豊)と言人 上手之扶持人 大工木村理左衛門を為と 不残為習置候也。色々習 多き事にて、當世しれる者無之 右一人にきする也。(枝折抄)

また、無著道忠禅師の『正法山誌』には、靈雲院書院を建てた宗匠という人を 金森宗和が呼び寄せて書院の写しを作らせ、宗和の没後、この書院が加賀に 移されたとの記述があります。

匠人名宗匠、龍安偏易善遇之、宗匠曾祖父、名立古亦宗匠也。建靈雲書院。其後金森宗和茶 人。領飛騨州 命宗匠令寫此書院。即造小模 費銀五佰錢目 宗和卒時、用其小模。獻加賀州太守 為遺物。是故加州有書院基構、一同霊雲者。又山崎有妙喜菴、其書院亦寫此模様、而今 現存焉。是圖書院、天下唯有靈雲妙喜二所而已。加州書院不知今猶存否。

このことから、宗和が「宗正」もしくは「宗匠」に宗和が茶室を建てさせていたことが窺えます。

 飛騨高山で宗和が茶室を好んだかどうかは定かではありませんが、飛騨高山から京都に移った後、 京都の御所八幡町の屋敷に茶室を設けていたことが茶会記等の記録に見られます。
 屋敷の二階に長四畳下座床の茶室があり、中柱と二重棚があったようで、 慶長4年(1599)、寛永15年(1638)の会記に記載が見られます。その後、正保4年(1647)の 会記には六畳敷の茶室が、正保5年(1648)には三畳台目の茶室が記されており、宗和はこの 御所八幡町の屋敷に少なくとも三つの茶室を設けたことが窺われます。
 このうち、三畳台目の茶室は、屋根付きの露地があったようで、 庭玉軒の内露地の原型であったのではないか、とも言われています。

 茶室の図面にも宗和好との記載のある図面が散見され、宗和が飛騨高山から京都に移った 際に滞在したとされる、「宇治宮林宅宗和好茶室図」に平三畳台目の中柱に台目棚を設た 茶室の図が見られます。
 また、宗和も出入りしていたと思われる、東福門院の娘、女三宮顕子内親王の山荘にあった と思われる「岩倉宮様御庭ニ金森宗和囲有之」という図面には、変形の長四畳台目下座床に 屋根付きの土間の付いた茶室が見られ、これは真珠庵に残されている「金竜院数寄家乎」と 同じ間取りとのことです。
 「大乗印宗和好茶屋図」には、竃付の土間から上がって一畳の正面に床が、右側に一畳、 左側に二畳あり、二畳の奥に更に上段の上段の間が付いた茶屋の絵も残っています。

 現存する茶室の中で、宗和好として伝わる茶室としては、まず大徳寺真珠菴の「庭玉軒」が 挙げられます。庭玉軒は二畳台目に屋根付きの土間が付いて内蹲が据えられ、茶道口と給仕口が 引違いの襖となっているのが特徴の茶室で、墨斎禅師の営んだ庵が失われた所に金森宗和が 茶室を好んだとも、正親町院の女御粧殿であった通僊院を移築する際に附帯してあった茶室で あったとも、金龍院にあった宗和好の茶室を移築したものとも諸説あり、定かではありません。

 東京国立博物館の「六窓庵」は、奈良の興福寺慈眼院にあった宗和好の茶室を 明治時代に高階在晴が移築し、没後、東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に 移築されたものです。三畳台目下座床の茶室で、六つの窓があることから この名前が付いたものと思われます。

 金閣寺の「夕佳亭」も江戸時代から宗和好として伝えられている。竃付きの土間から上がって 三畳の茶室があり、これに斜めに二畳の上段の間が付いた、変形の茶屋となっています。 金閣寺の鳳林が交友のあった宗和に依頼して建てた茶室とされていますが、本歌は明治時代に 焼失したため、現在の茶室が再建されました。

 鎌倉の「旧一条恵観山荘」は、一条恵観が京都西賀茂川上に作った山荘で、その後醍醐家の 別邸となり、現在は茶屋のみ残り、鎌倉に移築されて一般財団法人茶道宗?流不審庵の所有と なっています。
 長四畳、六畳、三畳、三畳、四畳半と座敷が縦並びになっており、『温故録』には、 このうち三畳間に設けられた二階棚や、下地窓が宗和の好みと書かれており、また、床の間の 付いた長四畳の「鎖の間」を宗和好みとする説もありますが、実際には宗和を重用した一条恵観の 山荘に宗和が大きく関係していたものと思われます。
 更に、当時の宗和と宮中の関係性を考えると、後水尾天皇が好んだと言われる水無瀬神宮 燈心亭や、良尚法親王が好んだと言われる曼殊院の茶室等についても、宗和の影響があった ことも考えられます。

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