金森宗和重近

金森宗和重近

 金森重近(後の宗和)は飛騨高山城主金森可重の嫡男として天正十八年(1584)に生まれました。 金森家の三代を継ぐ身に生まれましたが、慶長十九年(1614)の大阪冬の陣の出陣当日に父可重より 勘当されました。この理由については諸説あって確かな文献は残されていません。 「宗和が反徳川で大坂の陣への出陣を拒否したため、徳川家に遠慮した」「宗和の性格が柔弱で藩主に 不適格と考えた」「宗和を家から出し、重近か重頼のどちらか金森家の家系を残すことを考えた」 「茶の素質のある宗和を武士の立場から出すことにより、金森家の茶道を残そうとした」「宗和の実母 室町殿が有重から離縁されており、後妻の中段様もしくは有重と確執があった」「徳川家のスパイになった」 「スパイとして徳川家を探った」と様々な説がありますが、実母と後妻の確執と言う説を除いては、 金森家の血筋や宗和の茶道を守るためにやむなく勘当したのではないか、との説が多いようです。
 徳川家と宗和の関係については、「有明の御会の事」という話が残されています。
徳川家光が定家の小倉山色紙「郭公鳴つる方を詠ればたゞ有明の月ぞ殘れる」を秘蔵しており、これを 掛けてお茶に招くべき相手として京都に居た宗和を招き、燈火も灯さない暗闇の茶室にこの色紙を掛けたところ、 その客ぶりに家光が感心した、と言うものです。この話を、反徳川の宗和の心底を見るために家光が試したのでは ないか、という説もありますが、素直に考えると、宗和と徳川家がさほど仲が悪くなかった、ということかも しれません。
 廃嫡された宗和は、母と共に京都に移り、当初は宇治の茶師宮林家、もしくは大徳寺金龍院に滞在したと 考えられています。京都に出た宗和は大徳寺の傳双紹印和尚に参じて剃髪し、宗和の号を送られました。 その後、宗和は京都の御所八幡に邸宅を構えました。
 茶については、宗和は道安、織部に学んだと言われています。飛騨高山に滞在したと言う道安から宗和が 直接茶を学んだか、もしくは、父可重からも道安の茶を受けたものと思われ、自ら「道安流」を名乗ったとも伝え られ、また古田織部の影響も受けていたようです。
 その後、道安や織部の茶を学んだ宗和は独自の茶風を確立し、宮中の公卿門跡に認められることになります。 これは、宗和が確立していった茶風が、立場に応じた臨機応変なものであり、それが有職故実にもかなったということ でしょう。

 宗和に関しては残された文献が大変少ないのですが、その中から宗和の交友関係についてのお話をご紹介します。
 御陽成天皇の第十五皇子で天台座主を務め、茶道、華道、書道に秀でていた常修院宮慈胤法親王は、 宗和の茶の流れを汲み、後西天皇、真敬法親王、近衛家煕らに茶道を伝授し、公家の茶を体系化していった人物と されています。
 ある時、武芸で天下に知られた加藤越中守(具体的な人物は特定されていません)が金森宗和に茶会を 頼みました。越中守は武芸には秀でてはいましたが、茶道の心得はなく、お茶を飲むためではなく、宗和の茶がどのような ものか、隙があったら横槍を入れようと狙って茶会に参加しました。ところが、宗和の点前には一分も隙もなく 横槍を入れられませんでした。茶会から帰った越中守が「宗和は名人である」と賞賛したところ、この話を聞いた 常修院がこれを聞いて「そうだろう、そうだろう」と大変嬉しがったと言います。

 また、後陽成天皇の第九皇子であり、関白、摂政まで務めた一条昭良(恵観〉が宗和を召して台子の点前を 所望しました。宗和は台子に向かって柄杓を取り、点前を始めようとした時に、急に立ち上がって次の間に下がり、 柄杓の柄を五分ほど短く切り詰めてから点前を始めた、と言います。これをご覧になって、恵観は大変に宗和を 信頼するにようになったと記されています。

 後陽成天皇の第四皇子、近衛信尋(応山)が宗和を招いて茶会を催している所に、ちょうど華道で有名な 池坊専光が久々に大阪から挨拶に来ました。そこで応山は、良い所に来たと専光に花を入れさせたところ、 宗和が席に入って花を一見すると連客に「専光は大阪に行っていると聞いていたが、いつ帰って来たのだろう」と 言いました。後で応山が宗和に「何故専光の花だとわかったのか」と尋ねると、宗和は「御前の生け方とは 違いましたので」と答えたと言います。
 こうした話は、応山の曾孫にあたる近衛家熙(予楽院)が残した「槐記」に表れており、他にも当時の手紙等から 後水尾天皇を始めとした宮中の公卿達が宗和を高く評価していたことが窺えます。

 こうして広く茶道を評価されていった宗和は、加賀藩主前田利常より高禄をもって召抱えようとの申し出を受け ましたが、宗和はこれを固辞し代わりに宗和の長男七之助が加賀前田家に仕官することとなりました。
 宗和は明暦二年十二月十六日に七十三歳で歿しましたが、死の直前まで自ら茶会を催しており、その茶道における 功績は、後世にまで伝えられています。

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